「ら抜きことば」について

文法的に間違っているというだけでなく、敬語の普及を妨げる要因のひとつとして、拙ブログではいわゆる「ら抜きことば」を認めていません(「ら抜きことば撲滅委員会」を作りたいくらいです(笑))。一部には方言であるという主張もありますが、このブログ内での方針なので皆さまにはご了承いただきたく存じます。





本来、「見る、着る、いる、食べる、来る」などの動詞には、その敬語表現として、

  • 見る → ご覧になる
  • 着る → お召しになる
  • いる → いらっしゃる、おいでになる
  • 食べる → 召し上がる
  • 来る → いらっしゃる、おいでになる、お見えになる

などの表現があるのですが、面倒くさいという理由や、学校でちゃんと教えないというだけで、普及が阻害され、尊敬を表す助動詞「れる・られる」だけですまそうとする傾向があります。ところが、この助動詞は、同じ外見で他にも「可能、受け身、自発」を表すことから、混乱が生じやすく、「可能」と「尊敬」を区別する意味で「ら抜き」が生まれたとも考えられます。それがさらに省略されるような形で「ら抜きことば」が広まりました。「~できる」の意味で使う「可能」の表現は、正しくは、

  • れる
  • れる
  • れる
  • 食べれる
  • れる

となるべきところなのに、「ら」の文字が欠落するという現象が起こっています。たんなることばの問題と言うだけでなく、敬語環境への配慮の欠如もこのような過程で生じたと私は考えます。それは、やがて誰も他人に感謝や尊敬を払わないモラルハザードを引き起こします。ですから、基本であるこれらのことばを守りたいというのが大義名分です(笑)。

もちろん、ふだんの生活で、私のいないところでそのようなことばを使うのは、皆さんの自由ですが、この機会に「きれいな日本語」というものを見直してみるのもよろしいのではないでしょうか? また、日常生活でも、もう一度敬語というものを見直すチャンスだと思うのです。ということで、このブログではその点にご注意いただきたく存じます。

とりあえず(←口癖(笑))正しいかどうかに不安があれば、「可能」を表す場合は

「~ことができる」(例: 見ることができる、など)

という表現に置き換えていただくのはいかがでしょうか。もっと好いのは、上に挙げたような敬語表現をきっちりと身につけることなのですけどね。


[PR]
by Der_Wolf | 2004-11-04 23:00 | ☆ Readme (13)