敬愛するkoshiさんがお書きになった一文がなんとも刺激的で、久々に「なんか書かなきゃいかん!」という思いに駆り立てられている(笑)。
koshiさんが以前、
戦争映画を好むものは好戦的で右翼である
という主旨のことを誰かに言われたとおっしゃっていたことがあった。
koshiさん同様、私も戦争映画が大好きで、その映画の中の情景をジオラマに再現するために、子供の頃から第二次世界大戦の頃の戦車や戦闘機、戦艦などを大量生産していた。歩兵のフィギアにしても独米英ソ日それぞれに最低でも1個小隊ずつくらいは作っていたし、とくにドイツ軍に関しては国防軍・親衛隊合わせて1個中隊くらいは余裕で作っていた。ハーケンクロイツの旗をたくさん作り、鉄十字章もたくさん授与した(笑)。上のような主旨の考え方をする人に言わせれば、殺人マシンを大量に作り、"ナチスの侵略軍を喜んで体現していた"ということになるのだろう(苦笑)。
右翼、左翼という言い方はフランス革命当時の歴史的な経緯を知っているなら相対的なものだということがわかるだろう。また、左翼だから好戦的でないという主張も間違いであることは冷戦時代を見るまでもなく明らかなこと。ちなみに私は、The Political Compassというサイトでチェックすると中道左派という扱いか?
で、koshiさんがお挙げになっている4作品。寡聞にして「トコリの橋」は未見である(汗)が、他の3つはどれも大好きな作品である。何が好きかって、
と思うわきゃねえだろ(笑)。映画に対する感想は、おせわになっているJTNEWSのレビューページに書いているが、好戦的かどうかの判断は読んだ人に任せるとしよう。
戦争映画をどう観る(あるいは観ない)かはまったく個人の自由だと思うが、戦争映画好きが好戦的だとか右翼的だとかいった考えはどうなんだろうと思ってしまう。「遠すぎた橋」の原作「遙かなる橋」(A bridge too far)でコーネリアス・ライアンが訴えたかったことは、戦争という究極の非日常の中で人間がどう生きようとしているかを描きたかったということだ。ドゥーハン軍曹のように自己犠牲で他者を救おうとするものもいれば、橋のたもとの館の女性のように何が起こったかわからずに死んでいく人もいる。英雄的な行為や戦闘シーンばかりに目が行くと好戦的と思われるのかもしれないが、そういうことがあって人間の愚かさやすばらしさが見えてくるという主張もできるだろう。映画の最後でリブ・ウルマンとローレンス・オリビエが荷車で退避するシーンは、戦争に翻弄された人々の末路と子ども達の世代への希望が含まれている。
「プライベート・ライアン」で、スピルバーグは冒頭のオマハビーチでの戦闘を延々と見せることで観客を戦場のまっただ中にいざない、壮大な無駄を描きつつ、それでも自己犠牲の精神の崇高さをも描いた傑作だと思うのだが、残虐なシーンとか無駄が多すぎるミッションに不快感を感じる人がいるという。まさにそれこそがスピルバーグの意図だと気がつかない人はいないよね? 好戦的な人間なら、「戦争とは壮大な無駄であって、同じ過ちを二度と犯してはならない」というメッセージを感じ取れるだろうか? レトリックとかアイロニーとか逆説という修辞法を理解できる知性があればね。
リデル・ハートという著名なイギリス人が、
平和を欲するなら戦争を理解せよ
ということばを残している。彼はできるだけ正面衝突に因らないことで敵に勝利する道を模索し直接戦闘に依らない方法を研究した。現代の感覚で第1次世界大戦や第2次世界大戦での戦術・戦略を批評するのはある意味違うが、ソンムの会戦での壊滅的戦闘を目の当たりにした彼としては、いかに100万人の犠牲者を出さずに戦闘に勝利するかを研究したとしても批判はできまい。多大な無駄な死があってこそ、平和を求める行動も本気になるだろう。逆に言えば、戦争の本質をわからないままで、どういうものが平和といえるのかわかるだろうか? ただお題目のように「平和、平和!」と叫んでも、それを実現するためには何を努力すればいいのかわからないだろう。医者が病気を治すためには病気の原因を探ることが必須だ。病原菌を突き止めなければ、それにどう対処するかはわからない。ただ単に「治る、治る」と唱えるだけでは病気は治らないと思う。
戦争映画の話に戻ると、個人的にどうしても兵器の魅力というのは否定できない。「プライベート・ライアン」で(T-34改造だが)ティーガーが出てくるとワクワクするし、Sd.kfz.251が出てくるのを観ると「おお!」と思ってしまう。「バルジ大作戦」のケーニヒティーガーもどきのM47パットンやM4シャーマンもどきのM24チャーフィーには、今の目ではガッカリだが(笑)、「レマゲン鉄橋」でライン川沿いを疾走するチャーフィーはちょっと格好良かったりする(笑)。「コレリ大尉のマンドリン」で出てくるヘッツァーっぽいのには感動ものだし、「スターリングラード」(2001)のスツーカ(←どうしても最近は「スルー力」と読んでしまう(笑))の急降下攻撃シーンや三号戦車にはときめいてしまう。ところで三号戦車といえば「エニグマ奪還」(2001)の戦車追っかけっこが浮かんでくる。あれはほほえましい(微笑)。プラモデルでジオラマ作ってるのと同じワクワク感というもんだろうか。
つーことで、毎度おなじみのグダグダになってしまったが、戦争映画を観ることは「戦争したい!」と思うからではなく、「平和を理解するため」ということで、お後がよろしいようで……。
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