「たなばた」に関する話

初出2003-07-07

このエントリは、昔「1point」というサーバーでやっていたサイトで書いたものです。今はないところなので、このまま埋もれてしまうのはもったいないと思い、ここに復活させます。このカテゴリはそういう復刻版です。

漢字で書くと「七夕」という表記以外にも「棚機」という書き方も存在します。漢字というのは表意文字でもあるから、文字の違いには何らかの意味があるのだろうと思い、ちょっとだけ調べてみました。以下に書くのは私の勝手な推測に基づくものがほとんどですから(え?それはいつもだろうって?(笑))、実際のところはどうなのかわかりませんが、まるっきり見当違いのことは書いていないと思います(ホントか?(笑))。





    まず、「たなばた」ということで思いつくことは何があるでしょうか?
  • 牽牛と織り姫の伝説
  • 笹の葉の飾りに短冊をつけて願い事をする
  • などでしょうか。

「ウチではそれ以外に特殊な行事があるよ」という方がいらしたらぜひご一報ください。

そもそもの起源について一般的にいわれていることは、もともと日本にあったことに中国から輸入された話が融合して原型ができたということらしいですね。

まず、日本古来の話ですが、「棚機つ女」(たなばたつめ)というものがあるそうです。一説によると弥生時代頃までさかのぼれる話だそうですが、一般的にはもう少しあとの、6,7世紀頃ではないかとも言われています。

今と違って昔は衣(きぬ)というのは貴重品でしたから、かなり特殊な位置づけがされていたのでしょう。先祖の霊や神を慰めるために、特殊な場所で機(はた)を織り、それを捧げるような儀式が行われていたようです。その衣を織る役目をしたのが、禊ぎ(みそぎ)をした「棚機つ女」という女性だったということです。処女信仰であるとか、神というのは実は人間なのではないかとかいう生臭い話もあるようですが、それはここでは割愛します。

で、この衣を先祖の霊や神に捧げる儀式を行ったのが7月15日頃だと言われています。盂蘭盆(いわゆるお盆)の時期に当たるわけですね。ただし、お盆というのは仏教の考え方ですから、そもそも「棚機つ女」の話ができた頃にはまだ仏教は入って来ていないかもしれませんね。その辺の前後関係はわかりません。ご存じの方ご一報ください。

現在でもお盆の迎え火とか、キュウリや茄子に割り箸などを差して馬のような乗り物を作ることなどが行われますが、これに関しても昔からの言い伝えと関係の深い背景があるようです。また地域によっては、七夕飾りを川などの水に流す行事が行われているようですが、これも故事とつながりがありそうです。

というのも、上述の「棚機つ女」が捧げた衣に先祖の霊が降りるとか、その霊が帰るときにこの世の汚れを持ち去ってくれるとかいう考えもあったようで、その衣は燃やされたり、あるいは川に流されたそうなのです。この辺に現在の七夕との関連がありそうでしょ? キュウリとか茄子の乗り物に関しては、後ほど、中国の話をしたあとに触れます。

さて、牽牛と織女の話というのは中国から入って来たというのは皆さんご存じのことと思います。この話の原型は、春秋戦国時代頃にまでさかのぼるそうです。その時代には鉄器の生産が行われるようになり、農業面でも鍬(くわ)などに使われ、あわせて牛などを使う牛耕をすることで生産技術の向上があったようです。牽牛というのはそういう農作業の象徴ということになります。また、織女は蚕を生産して絹を織る家内制手工業の象徴と言う事ですね。

この二人が出会えば、労働の成果は大きなものになるはずだったのに、若い男女のことですから遊びほうけてしまい、天の怒りを買うことになったのでしょうか。

ここで、なんで天が怒るのかが不思議だと思う人もいるでしょう。それは、ここにさらに別の話が絡んでくるからそういうことになるのだと思います。

その話とは天女伝説なんですね。織女が地上の人間であれば問題はなかったのでしょうが、天上界の人間という設定があると、やはり天のお父さんは、面白くないものがあるんでしょうね。余談ですが、バリエーションとして、二人が知り合うきっかけに牛が出てくるものもあるようです。

話を元に戻しましょう。この二人が天の怒りを買い、引き裂かれそうになります。それをなんとか克服しようとする過程で、牽牛にいろいろと難題が課されます。その一つに、「ウリを切って見ろ」というのがあります。理由はよくわかりませんが、横に切るのが正解だそうなのです。ところが牽牛はそれを縦に切ってしまいます。すると、ウリから水があふれ出し、あっという間に川になってしまい、二人は物理的に引き裂かれてしまったのだそうです。

このエピソードの背景を私なりに推測してみると、伝説の伝播経路が影響しているのではないかと思うのです。というのも、そもそもこの牽牛と織女の話は中国原産というわけでもないらしく、また、この手の話の常として、さまざまなエピソードの混合があったようなのです。一説として、インドから中国に伝わったというものがあります。まあインドに限らず、西方のシルクロード経由で何らかの話が入って来たことは考えられるでしょう。そのシルクロードはウリの産地として有名ですね。また水は貴重なものでした。一方中国は黄河文明の名の通り川の氾濫が文明を作ったとも言えます。この二つの要素が合体して上のエピソードができたのでないかと私は想像しています。

もう一つ余談を。先ほど「棚機つ女」の話の後で、現在の七夕の行事でキュウリや茄子で乗り物を作る話をしました。この背景にはもしかしたら、上に書いたウリのエピソードの影響があるのではないでしょうか?

話を「牽牛と織女」に戻しましょう。牽牛が失敗してしまった結果、二人は離ればなれになってしまいます。当然、会えないことで織女は悲しんでしまいます。それを見た父親は(たとえ神様でも)人間らしい情が出たのでしょうか。二人がまた会うことを許します。ここでまたいろいろな話があるのですが、簡単にいえば、その許可を伝える過程でミスがあり、一年に一回しか会えなくなったということらしいのです。お父さんは最初「7日に1度ならいいよ」と伝えたらしいのですが、メッセンジャーが間違ったとも、聞いた二人が間違えたともいいます。でも、邪推をすると、ミスリードされるように許可を出したとも勘ぐりたくなりませんか?(笑)

    さて、ところでなぜ7月7日なのかということですが、これは大きく二つの要因があるようです。
  • ひとつは、この時期が旧暦では農閑期になるということ。
  • もうひとつは、道教や陰陽道の考え方の影響で、ぞろ目の日付が選ばれたこと。
  • などです。

さて、まだまだ話は続きます。日本の「棚機つ女」の話。中国の「牽牛と織女伝説」。この二つが合体しただけでは、まだ足りないんですね。これだけでは、お星様を眺めて終わってしまいます(笑)。

ここに加わるのは「乞巧奠」(きっこうでん)というものです。織女は機織りの名人でした。それにあやかろうとして、婦女子は7月7日に、針に糸を通したもの(5本、7本、9本など諸説有り)を飾って、技術の向上をお祈りしたといいます。これがさらに発展したものが「乞巧奠」という行事で、唐の玄宗皇帝の頃に大々的になったと言われています。8世紀の前半から中頃ですね。この頃になると、単に針仕事の技術向上だけでなく、文芸一般に関しても願い事をするようになったようです。さらに様々な捧げものを用意したようですから、今のように短冊一枚で願い事をするという安上がりなものではなかったのですね(笑)。

唐代になってこのような行事が発展した背景には、私は「科挙」の影響を大きく感じます。「科挙」とは中国に古くからある官吏登用試験のことです。その始まりは漢の時代までさかのぼると伝えられます。唐の時代には大々的に採用され、後の宋、明、清の時代にも官僚の選出に大きく貢献する制度です。この試験は非常に難関ですが、身内がひとり合格すれば一族郎党が裕福になれると言われていました。いろいろと面白い話があるのですがそれはまた別の機会に。

で、科挙の試験はまず筆記試験があるのですが、当時の筆記具は文字通り筆です。答えた内容も大事ですが、文字の美しさも重視されました。玄宗皇帝から1100年後の清の時代に「太平天国の乱」を起こした洪秀全などは字が汚かったために科挙に落ち、頭に来て反乱を起こしたともいわれています。それくらい文字の綺麗さは重要なことでしたから、乞巧奠で文字の上達を望むことがあっても不思議ではありませんね。

日本に中国からこれらの話が伝わり、日本の伝説とも融合した結果、平安時代に今の七夕の原型ができたのでしょう。その後江戸時代になって寺子屋の発達などで都市部では今の七夕と同じように、笹飾りに短冊をつけて願い事をする風習が広まったと考えられます。一方で農村では古来の行事が残され、多少は違う形での七夕が残っているのだと推測されます。東北のねぷた祭りや竿灯なども古来の七夕の名残があるといわれていますね。

    さて、これで今の日本の七夕の大前提はほぼ揃いました。まとめてみましょう。
  1. まず日本には「棚機つ女」というものがあった。
  2. 中国には「織女伝説」があった。
  3. また、中国では「乞巧奠」という行事もあった。
  4. 「しちせき(七夕)」という中国の行事に「たなばた(棚機)」という読みを当て、「七夕(たなばた)」が誕生した。
  5. ということでしょうか。

最後に日付に関してです。そもそもの行事を考えれば、陰陽説に基づく7月7日というのは旧暦ですから、今のような梅雨時のものではなく、スッキリと梅雨の明けたあとの8月に行うのが本来のものではないでしょうか。8月7日なら、お盆に近いこともありますし、もともとの意味を考えると理にかなったものだと思います。

なぜ新暦7月7日に行われるのかを考えると、学校教育の影響が大きいと思います。夏休みというのがあるため、8月では都合が悪いのでしょう。本来の意味を教えて文化を伝承するのが教育だとしたら、たとえ夏休みだといっても、その日だけは登校日にして学校行事とした方がいいのではないかな?

以上、長々と考察しました。


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by Der_Wolf | 2003-07-07 00:00 | renew(1)